使い方しだいで時間は伸び縮みする?

アメリカ建国時代の政治家で科学者でもあったベンジャミン•フランクリンは「時は金なり」といいました。彼は時間を非常に大切にしました。そのことを物語る有名なエピソードがあります。

フランクリンは一時期、印刷所と本屋を兼業していました。その頃のことです。本を買いに来た客が店員に「まけろ」といいだしました。フランクリンは奥の印刷工場で仕事をしていました。店員は客がしつこいので困ってフランクリンのところへお伺いをたてにきました。

フランクリンは仕方なく店に出ていきました。

「本代はまけてあげますよ」

「それはありがたい。じゃあ、いくら払えばいいんだ?」

フランクリンがいった金額は、本の定価よりも高かったです。

「エッ、だっていままけるといったじゃないか。何で高くなるんだ」

「本代はまけます。でもあんたはちゃんと店員がいるのに、むりをいって私の貴重な時間を奪っている。その分が含まれているんだ」

客は定価で本を買っていったといいます。

時間は誰にも平等に与えられているようにみえますが、じっさいは使う人間によって長かったり短かったりするものです。限られた時間でより多くのことができる人間と、そうでない人間がいることがその証拠です。つまり使い方しだいで時間は伸び縮みしています。

むだなく時間を使うにはどんな場合にも時間に意義をもたせることです。いまの時間、自分のやっていることは、どんな意義があるのかを考えて、納得がいけばその時間はむだではありません。他人にはむだにみえても、自分が納得していればいいのです。

よく「時間がない、時間がない」となげく人がいますが、そういう人はしなければならないことをしないで、しなくてよいことに時間を費やしているから時間が足りなくなるのです。計画的に使えば、時間が足りないことなどありえません。

われわれは時間をお金ほど大切にしていませんが、時間はすぐに使うことを義務づけられたお金のようなものです。有意義に使うか無駄に使うかで人生がまったく変わってきます。よく「忙しい人ほど多くの時間をもつ」といわれますが、それは時間を有意義に使うからです。一力月の自分の収入を一時間単位に直してみましょう。無意味な一時間をすごすことは、それだけのお金をドブに捨てているのと同じです。