大きなことは細分化して考える

サラリーマンが住宅を購入するときはほとんどローン。クルマもそう。現金でポンとは買えませんが、細かく分割するから5000万、6000万円の住宅を手にいれることができます。こんなことは当り前で、誰も改めて見直そうとしませんが、分割払いが可能になってはじめて大衆消費社会が到来したといっていいです。

この発想をわれわれの生き方にも取り入れてみたらどうでしょう。自分の給料から考えて目の玉の飛び出るような価額の住宅を平気で買うくせに、ちょっと困難な問題に出会うと「とても自分の手には負えない」とあきらめてしまっていないでしょうか。

細分化して考えることには三つのブラスがあります。第一に相当大きなことでも「できる」という自信がわいてくることです。たとえば道端に重さ1トンの石があるとします。それを一人で取り除けといわれたら、誰だって「できない」と思うはず。だが、その石を砕いてカケラにしてしまえば、子供にだって取り除くことはできます。

その第二は方法論が浮かんでくることです。「できない」と思ったら、方法論など浮かばないが「できる」ことを前提に細分化を考えれば、そこにおのずと方法論が生れてくる。

6000万円の家をボンとは買えませんが、「月々10万円、ボーナス時30万円の返済ですよ」などといわれれば、どうすればいいか見通しがついてきます。

第三のブラスはいまの自分では不相応な大きな目標をもつことです。人生でいちばん楽しいこと、それは目標をたててそれを実現していくことです。だが、誰だって自分の能力を考えるから、いまの自分にできそうもない目標ははじめから考えようとしません。

やっと家を手に入れた人は、つぎに倍の広さの家がほしいとか、別荘がほしいと思っても、いまの自分の能力の限界を考えるから、本気で目標にしようとはしません。しかし細分化の発想に立てば「やってできないことはない」という気持ちになってくるはずです。

もっと広いとか、別荘だと考えますから、目の前におかれた一トンの石に見えてしまいます。家の広さなら一部屋ずつ増築していけばたやすく広げていけます。敷地に限界があるなら三階建てを考えればいいです。

別荘だって軽井沢なんて考えるからいけないので、たとえば九州の霧島なら結構な別荘地が坪数万円で売られているのです。老後のことを考えれば、こういう場所でも買っておけば十年先、二十年先には一財産になっているはずです。ともかく何事も細分化してみると、誰でもやれることはいくらでもあるのです。