成功の階段を昇るための七つの法則

アメリカの成功理論家として名高いJ.マーフィーは「願望達成の処方箋」として七つの原則をあげています。それは二言でいえば人生に立ち向かうライフスタイルの差です。それがどのようなものであるか以下に掲げてみましょう。

①人生の目標をもつこと

どんな目標でもよいですが、抽象的なのはダメらしいです。できるだけ具体的な目標をもちましょう。「金がほしい」ではなく「いくらほしい」と目標を立てる、また「名誉がほしい」ではなく「文化勲章」と具体的に望む、マイホームが希望なら間取りから調度品まで。とにかく具体的な目標をもつこと。

②計画を立てよ

目標をどのようにして達成するかのアクション•プログラムですが、これには「いつまで」という締め切りと、「いかにして」という手段が必須。とくに締め切りがないとすべてが瓦解します。

③実現を信じる

目標は達成できると信じること。そうでないとなかなか実現しません。信じ方にはつぎのテクニックをつかいます。すなわち「実現した様子」をいつも頭の中に思い浮べること。マイホームが希望なら、理想の家で生活する自分を想像します。

④集中力を養う

すべてのエネルギーを目標へ集中する訓練をします。少なくとも目標達成にマイナスのことはしません。集中力は潜在能力を引き出すもっとも有効な手段です。自分に集中力があるかないかは「われを忘れる」「無我夢中」「没頭した」といえる時間をどれだけもつかで測定できます。そういう時間を増やすように。

⑤あきらめない

計画倒れにならないようにするには、けっしてあきらめないこと。そのためには繰り返しに強くなるのが有効。繰り返すときは余計なことは考えません。「何の役に立つのか」「むだではないか」などという思いがいちばんいけません。

⑥否定語は無視する

とくに他人の否定語に注意。「そんなこと無理だ」「できっこない」「やめたほうがいい」。これらは悪魔のささやきと心得ましょう。他人の意見で聞いていいのは肯定語だけ。肯定語ならお世辞にも耳を傾けましょう。もちろん自分自身に語りかけるときも同じようにします。

⑦失敗を恐れない

やはり失敗は成功の母。「失敗しない者はついに何事もなしえない」という言葉もあります。一つの失敗は一つの障害物の発見にほかなりません。だから多ければ多いほど障害は除去されていると思いましょう。失敗者とは失敗した人ではなくて、失敗にまけた人のことです。

 

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使い方しだいで時間は伸び縮みする?

アメリカ建国時代の政治家で科学者でもあったベンジャミン•フランクリンは「時は金なり」といいました。彼は時間を非常に大切にしました。そのことを物語る有名なエピソードがあります。

フランクリンは一時期、印刷所と本屋を兼業していました。その頃のことです。本を買いに来た客が店員に「まけろ」といいだしました。フランクリンは奥の印刷工場で仕事をしていました。店員は客がしつこいので困ってフランクリンのところへお伺いをたてにきました。

フランクリンは仕方なく店に出ていきました。

「本代はまけてあげますよ」

「それはありがたい。じゃあ、いくら払えばいいんだ?」

フランクリンがいった金額は、本の定価よりも高かったです。

「エッ、だっていままけるといったじゃないか。何で高くなるんだ」

「本代はまけます。でもあんたはちゃんと店員がいるのに、むりをいって私の貴重な時間を奪っている。その分が含まれているんだ」

客は定価で本を買っていったといいます。

時間は誰にも平等に与えられているようにみえますが、じっさいは使う人間によって長かったり短かったりするものです。限られた時間でより多くのことができる人間と、そうでない人間がいることがその証拠です。つまり使い方しだいで時間は伸び縮みしています。

むだなく時間を使うにはどんな場合にも時間に意義をもたせることです。いまの時間、自分のやっていることは、どんな意義があるのかを考えて、納得がいけばその時間はむだではありません。他人にはむだにみえても、自分が納得していればいいのです。

よく「時間がない、時間がない」となげく人がいますが、そういう人はしなければならないことをしないで、しなくてよいことに時間を費やしているから時間が足りなくなるのです。計画的に使えば、時間が足りないことなどありえません。

われわれは時間をお金ほど大切にしていませんが、時間はすぐに使うことを義務づけられたお金のようなものです。有意義に使うか無駄に使うかで人生がまったく変わってきます。よく「忙しい人ほど多くの時間をもつ」といわれますが、それは時間を有意義に使うからです。一力月の自分の収入を一時間単位に直してみましょう。無意味な一時間をすごすことは、それだけのお金をドブに捨てているのと同じです。

目標ができたら企画書にしてみよう

会社が何か新しいことをするとき、どんな形であれ企画書をつくります。テレビドラマや演劇では脚本が欠かせません。これと同じで人生の目標をつくったら、それを形のあるものとして残しておくことが望ましいです。

たとえばマイホームが欲しいと思う人は大勢いますが、それを企画書のようなものにしている人はまれでしょう。だが実現したいと願うなら、頭の中に描くだけでなく、紙に書き出すことが大切です。

なぜかといいますと、企画書のように紙に書き出していきますと、単なる願望だったものが、より具体的なものになってくるからです。マイホームが欲しいです。どの辺に、どのくらいの広さで、どんな外観で、庭は、書斎は、リビングは、予算は……考えることはいくらでもあります。そしてこうしたあらゆる要素を検討していますと、思わぬところから突破口がみつかるものなのです。

つまり実現の可能性がグンと高くなります。多くの人がいろんな目標をもちながら、なかなか実現できないのは、それをただ考えるだけで企画書あるいは脚本にしていないからです。

目標を紙に書き出す習慣をもっている人は、もっていない人にくらべて圧倒的に所得が高いという調査報告もあります。

もちろん人生の幸福度というものは、所得だけで測れるものではありませんが、現代社会においては、能力、社会的地位と所得はだいたい並行します。目標を企画化、脚本化することは所得の増大、社会的成功の必要条件なのです。

人間はもともと目標志向型にできあがっているといわれます。目標があれば、そこへ向かって行動を起こします。だがその目標がアイマイでは行動が始まりません。どんな場合でも具体的な目標でなければなりません。そのために書き出してみるのは必要な作業なのです。

会社の仕事ではいくらでも企画書を書くのに、自分の目標では形のあるものをつくらないというのは、考えてみればおかしいです。子供は自分の願望を「したい」「できたらいいな」という形で表現することが多いです。どうしたらそれができるか手段がよくわからないからです。

だが大人はそれがわかります。どうすればよいのか知っているのです。知っていますのに、子供と同じレベルでいるのは怠慢です。人生目標は会社の仕事よりも重要です。会社の命運をかけた事業の企画を担当したつもりで取り組んでみたらどうでしょうか。

人生にはいくつ目標があってもいい

人生をよりよく生きるためには目標が不可欠です。ではその目標は一つがいいのか、あるいは2つも3つもあったほうがいいのかという問題が出てきます。実際に目標がいくつもあって困る人もいるはずです。

一般的には一つの目標にしぼり込んで、それに専念すべきだと考えられます。「成功の秘訣は目的の一定不変にある」(エマーソン)という言葉もあるくらいです。だが目標は一つでなければならないかといえば、いくつあってもいいです。むしろたった一つというよりも、同じような道筋にいくつかあるのがより好ましいです。

たとえば青年が医者になるという目標を立てたとします。医者になるには医学部に入学すること、国家試験に通るという絶対的な関門があります。その目標に向かって努力をはじめましたが、不幸にして父親に先立たれ経済的に苦しくなってしまいました。

このようなとき、早くも挫折感を抱く人もいるでしょう。中にはふてくされて人生を棒にふってしまうかもしれません。「自分の唯一の夢は破れました。もう人生は灰色だ」。これは目標が一つしかない欠陥です。

だが医学部を目指して勉強するようなタイプは優秀ですし、また勉強する意欲もあります。その長所を利用して、同じ国家試験でも司法試験を受ければいいです。医者と弁護士ならどちらも社会のエリートです。「絶対にこれだけ」という目標の立て方はよほど注意しないと、物理的に不可能になる場合があるものなのです。

たとえばA子という女性が好きで「結婚したい」と思います。人生の目標として「A子と結婚すること」を定めたとします。ところがまもなくA子は結婚してしまいました。完全な挫折です。こういう種類の挫折がおうおうにしておきます。

この場合、どうすべきだったかといえば、最初からターゲットを特定せずA子のような女性と結婚する」という目標の設定をすればよかったのです。その中には当然A子も入りますが、A子のもつ属性を備える他の女性もターゲットに入ってきます。つまり目標は単一ではないわけです。このような目標のつくり方をすればやたらに挫折することはありません。

目標が複数のメリットは三つあります。第一は挫折することが少ないのでいたずらにマイナスの自己暗示にかからないですみます。第二にそれが人間の自然な姿である(人間はあれもしたい、これもしたいと思う動物だ)。第三に精神的な余裕が出てきますので、自分のいちばんよい面が出てきて目標が達成しやすいことです。

人生の目標はこうしてつくる

自分なりの目標をもっている人はけっこういますが、目標と口ではいっても、ただたんに「こうあったらいい」という夢のようなものにすぎないことが多いようです。だが目標とはもっと具体的なものです。そこで以下に目標のつくり方をあげてみましょう。

第一に大切なことは、目標が「自分にプラスになる」ものであることです。プラスの内容はさまざまでしょうが、とにかく達成できたら自分の人生がワンランク上にいけるようなものでなければなりません。

第二の条件は「他人の役に立つか」です。自分の役には立つが、他人にはまったく役に立たないというのはダメです。また周囲の人間に迷惑をかけるようなのも好ましくありません。そういう目標だと妨害されて挫折するか、自分がいやになるかどっちかだからです。

第三に「期限を決める」です。できれば何年何月。それができなければ何年後、何歳のときにでもいいです。あるいは定年までにとか。どんな形であれ、期限が決められてないのは、漠とした願望であっても目標とは呼べません。

第四に「到達地点を決める」です。これは内容の規定です。どこまで行けば目標の達成なのかを決めておくことです。これがないと次の計画が立てられないばかりか、目標そのものがウヤムヤになるおそれがあります。

第五に「計画をもつ」です。目標をつくれば計画が必要になるのは当然ですが、なぜか目標だけで計画のない人がいます。計画をつくると目標への道筋がはっきりしてきますので、実現の可能性がより高まります。

第六に「達成の意志を持続できるか」です。目標ばかりつくって、ひとつも実行しない人がいますが、つくったからには達成するという強い意志が必要です。それがわいてこないようなときは目標そのものが誤っています。

以上六つの条件をすべて満たす目標ができたら、あとは行動だけです。だが行動については、あまりこだわることはありません。それよりも大切なのは、いつも目標を意識していることのほうです。気持ちがそっちにむかっていれば、行動のほうは自然にともなってくるからです。

また人生の目標だからといって壮大なものばかりとは限らなくていいです。当面の目標として手頃なものをつくって実現し、また新しい目標をつくればいいです。むしろそのほうがやりがいが出てきます。

 

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大きなことは細分化して考える

サラリーマンが住宅を購入するときはほとんどローン。クルマもそう。現金でポンとは買えませんが、細かく分割するから5000万、6000万円の住宅を手にいれることができます。こんなことは当り前で、誰も改めて見直そうとしませんが、分割払いが可能になってはじめて大衆消費社会が到来したといっていいです。

この発想をわれわれの生き方にも取り入れてみたらどうでしょう。自分の給料から考えて目の玉の飛び出るような価額の住宅を平気で買うくせに、ちょっと困難な問題に出会うと「とても自分の手には負えない」とあきらめてしまっていないでしょうか。

細分化して考えることには三つのブラスがあります。第一に相当大きなことでも「できる」という自信がわいてくることです。たとえば道端に重さ1トンの石があるとします。それを一人で取り除けといわれたら、誰だって「できない」と思うはず。だが、その石を砕いてカケラにしてしまえば、子供にだって取り除くことはできます。

その第二は方法論が浮かんでくることです。「できない」と思ったら、方法論など浮かばないが「できる」ことを前提に細分化を考えれば、そこにおのずと方法論が生れてくる。

6000万円の家をボンとは買えませんが、「月々10万円、ボーナス時30万円の返済ですよ」などといわれれば、どうすればいいか見通しがついてきます。

第三のブラスはいまの自分では不相応な大きな目標をもつことです。人生でいちばん楽しいこと、それは目標をたててそれを実現していくことです。だが、誰だって自分の能力を考えるから、いまの自分にできそうもない目標ははじめから考えようとしません。

やっと家を手に入れた人は、つぎに倍の広さの家がほしいとか、別荘がほしいと思っても、いまの自分の能力の限界を考えるから、本気で目標にしようとはしません。しかし細分化の発想に立てば「やってできないことはない」という気持ちになってくるはずです。

もっと広いとか、別荘だと考えますから、目の前におかれた一トンの石に見えてしまいます。家の広さなら一部屋ずつ増築していけばたやすく広げていけます。敷地に限界があるなら三階建てを考えればいいです。

別荘だって軽井沢なんて考えるからいけないので、たとえば九州の霧島なら結構な別荘地が坪数万円で売られているのです。老後のことを考えれば、こういう場所でも買っておけば十年先、二十年先には一財産になっているはずです。ともかく何事も細分化してみると、誰でもやれることはいくらでもあるのです。

望みは大きければ大きいほどいい

人が望みをもつには二つの考え方があります。一つは「できもしない大きな望みは抱くべきでない」というもの。もう一つは「大きければ大きいほどいい」というものです。どっちがいいか。これは大きい望みのほうが断然いいです。

人間の能力は限界への挑戦によって高められるからです。自分がやすやすとできることばかりしていては人は進歩しません。また人間は自分にとって実現不可能な望みは絶対に抱きません。どんなに大きいことを望んでも、案外、それは実現可能なことなのです。

これは意外に見逃されている点です。

たとえば日本人が「アメリカ合衆国大統領になる」などという望みは抱きません。新入社員はその会社の「社長になってやる」と思うかもしれませんが、定年が目前の課長はそんな望みはもちません。プロ野球選手との結婚にあこがれる女性はいても、皇族の妃になりたいとは思わないのです。

だからいったん抱いた望みなら、それがどんなに実現不可能にみえても、絶対に不可能ということはありません。シュリーマンという考古学者は、子供のころホメロスの『イリアス』をよんで、トロイアの遺跡発掘の夢を抱きました。これは神話と思われていたものです。

事業で成功した彼は私財を投じて発掘を始めました。歴史学者はみんな笑いました。神話を本気にするなど正気の沙汰とは思われなかったからです。だがシュリーマンは本当にトロイアの遺跡を発見してしまったのです。

人類史上に残る偉大な発明発見など、その当時の常識からみたらみんな「ありえないこと」ばかりです。自分が心の底から「そうしたい」と思うことは大切にしたほうがいいです。どんなに困難に見えてもけっして不可能ではありません。

また能力を高めるためには、能力以上のものに挑戦しなければなりません。これはボディビルで筋肉を鍛えるとき、らくらくできることをやってもだめなのと同じ理屈です。すぐに実現してしまうような望みをいくつ実現しても、自分の能力は高められません。いまの能力では「まず無理だろう」と思えることに挑戦してはじめて長足の進歩があります。

日本人はとかく大言壮語をきらいます。「あの人は大きなことばかりいっている」というのはけっしてホメ言葉ではありません。しかし一人の人間のもつ可能性というものは、本人や周囲の人間が考えているほど小さなものではありません。その人の頭の中で想像しえたことはすべて実現可能なのです。だから望みはできるだけデカイほうがいいです。

志を立てるのに遅すぎることはない

日本人が長年親しんできた人生設計のヒナ型は「われ三十にして立つ、四十にして迷わ ず、五十にして天命を知る」という孔子の言葉です。これをモノサシにすると、五十歳以後 は余生のイメージになってしまいます。人生五十年時代はそれでよかったかもしれませんが、いまはまったく現実に合わなくなってきています。

にもかかわらず、このモノサシはまだ使われていて、四十、五十になると気持ちのうえ で若さを失ってしまう人が多いようです。だが人生五十年時代の三十歳をいまの八十年 時代に直すと約五十歳、四十歳は約六十歳です。つまり孔子の言葉は現代では「五十で 立つ、六十で迷わず、八十にして天命を知る」ということになります。

ふつう志を立てるのは二十代か三十代までで、それより上の年齢になると「もう遅い」 と思ってしまうようですが、五十歳近くで志を立てても遅くはないのです。四十はまだ鼻たれ 小僧、いまの時代孔子の年齢を額面通り受け取るのは、若年寄りの考え方です。

それに孔子の言葉は「五十にして天命を知る」でおわっているわけではありません。このあと に「六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲するところに従えども矩(のり)をこえず」とあります。

これは現代では「九十にして耳順う、百にして心の欲するところに……」となるでしょう。 これが現代の寿命観にあった年齢感覚といえるでしょう。

世間では二十歳で成人とみられていますが、心身共に大人の仲間入りをするのは現代では 三十歳です。だから人生の本当のスタートは三十からと考えるべきです。もっとも現実的 なのは自分の生理年齢の八掛けくらいを精神年齢と思うことです。四十歳なら三十二歳、五十歳ならいま自分は四十歳と信じればいい、仙崖和尚は次のようにもいっています。

  • 六十歳は人生の花
  • 七十歳で迎えがきたら「留守」と言え
  • 八十歳で迎えがきたら「早すぎる」と言え
  • 九十歳で迎えがきたら「急ぐな」と言え
  • 百歳で迎えがきたら「ぼつぼつ考えよう」と言え

葛飾北斎は七十三歳で「富嶽百景」を描いたとき、その前書きで「九十歳にしてなお奥 意を究め、百歳にして神妙ならん、百有十歳にして一点一画にして生きるが如くならん」 と自分の志を語っていります。人生において「志を立てるのに遅すぎるということはない」 (ボールドウィン)というのは本当です。

脱皮するための心構え

職場の中で、「あの人は最近変わったなあ」という声をよくききます。

ある日、あるときから何かをきっかけとして精神面において行動面においてイメージ•チェンジをはかるといぅのはだれでも経験することかもしれません。ですが、職務を通じて起こりやすいマンネリ化の状態に自ら気づき、そこから脱皮を試みるのは容易なことではありません。

たとえば余暇を利用して資格試験に挑戦するとか、毎月読書量を決めて経理や法律の勉強をしていくということもあるでしようし、毎朝ジョギングを始める、禁酒、禁煙するといつたこともあるでしようが、ともすると長続きせず、三日坊主に終わってしまうということも多いでしよう。

よほど強い信念、何が何でもやりとおすという意志、自分を変えていくんだといった決意、行動が必要です。ウイリアム•ジムスは「人は心構えを変えることによつて人生を変えることができる。これはわれわれの時代の最大の発見である」といっています。

心構えを変えるとは自分の心の状態を変えるということですから、まずしなければならないことは現在の自分をよく知って、どんな欠点を持ち合わせているのかを自問自答して自覚しなければなりません。そして今までと違う自分をめざしてプラスの方向に行動するとき、人生がより大きく前向きに展開することでしよう。

改善提案制度に積極的参加を

私たちの職場にも改善提案制度がありますが、最近提案件数が少ないようです

仕事を通じて感じたこと、こうしたらよりよくなるなといった事柄を率直に自由に提案し合い、改善につなげる主旨で始めた制度です

もっと問題意識をもって参加してほしいと思います

トヨタ自工といえば日本一の大企業ですが、この超高収益企業を支える柱のひとつに徹底した合理化があります

それも上から押しつけられるものではなく「創意くふう提案制度」というもので社員全員の提案を吸いあげているのです

この提案が年間四十万件から五十万件にものぼるそうです

社員一人当り十件以上にもなります

賞金総額四億円以上といいますから驚きます

こういう小さい工夫努力の山のような積み重ねが超優良企業をつくり出したのです

ドイツのリュッケルト(詩人)は、「君の路を行きつくとよき満足がある

しかし初め満足する者は先へ進まない」といっています

現状はこれでよいのか、もっとこうしたらより向上できる、満足できる方法を追求する気持をもちましょう

仕事が不便ではないか?もっと楽にやれる方法はないか?生産量を増やすにはどうするか?不良品の防止のためには?職場に戻ってもっと考えてみましょう

そしてどんな小さなことでも提案するよう心掛けてください。